将棋を教える 2016年1月22日
中倉姉妹を育てた父の企画力〜中倉家対談【前編】
私中倉彰子は6歳のころから、そして同じくプロの女流棋士である妹の中倉宏美女流二段は4歳のころから、将棋を指してきました。ふたりともプロとなったからか、いったいどういう幼少期を過ごしてきたのか、多くの方に聞かれるのですが、そのたびに父の影響をお話してきました。
子ども教室やイベントを通じてお子さんやご両親と接する機会が増えてくると、今度は父がどのように私たち姉妹に将棋を教えていたのか、質問を受けるようになってきました。なるほどー、確かにふたりともプロになったので、もしかしたら役に立つこともあるのかなと思い、このたび、中倉彰子・宏美と中倉父の親子対談を都内某所で開催してきました!
オフレコ話もたくさんあってここでは書けないこともあるのですが(もしかしたらメルマガでご紹介するかも! ぜひ購読してください笑)、そのエッセンスをブログで紹介させていただければ、なんて思ってます。
中倉彰子(以下彰子):今日お集まりいただいたのは、いつつブログで中倉家対談をご紹介したいと考えたからです〜。飲み放題なので、ご協力おねがいします〜。
父(以下でも父):いつつって何だ?
彰子:私の会社だよ〜。ぜんぜん見てくれてないんだね、お父さん。
中倉宏美女流二段(以下宏美さん):で、私たちは何を話せばいいの?
彰子:私たちの幼少時代、中倉家ではどんな指導が行われていて、お父さんがどんな工夫をしていたのか、そしてそれに対して私たち姉妹がどう感じていたのか、あたりをざっくばらんにお話していただければー。
父:彰子は根性があったよな。門限をやぶった・・・
彰子:(被せるように)その話はいいから。
宏美さん:お父さん、なんで私たちに将棋を教えようと思ったの?
父:ふたりには、「これだけは負けない」って自信をもって言えることを身につけて欲しかったんだよね。まあ私が将棋が好きだったというのもあるけど。
宏美さん:へー、でもそれって将棋じゃなくてもいいんじゃない?
父:私は将棋が好きだからね。あと、落ち着きがなくちょろちょろしていたお前たちが少しでもお淑やかになってくれないかと考えたというのもある。将棋は正座で礼儀正しく振る舞う必要があるから、すこしは落ち着いてくれるんじゃないかと期待したんだよ。
彰子:なるほど〜。それって効果あったのかなぁ。
父:少しはあったと思うよ。おてんばだったけど、落ち着きがでてきたし、そしてなにより私もびっくりしたのだけど、根性がついたよね。
宏美さん:根性というか、、、やめるって言える雰囲気でもなかったというか。お父さんとしょっちゅう喧嘩していた気がするなー。
父:将棋のことでだろう? 小学生の子どもが大人と対等に喧嘩できるなんてすごいじゃないか。プロはわからないけれども、アマチュアだと年を取るにつれて将棋は弱くなってくるから、小学生の子どもがおじいちゃんに勝つことも珍しくない。スポーツだとそうもいかんだろう。
宏美さん:新体操やりたかったんだよねー、子どものころ。
彰子:将棋で5連勝したら新体操やってもいい、みたいなご褒美だったよね。
宏美さん:そうそう。将棋で勝ったらご褒美、って家だったから、クラスの子が何もなくてプレゼントもらってるのにびっくりしたのを覚えてる(笑)。
父:目の前に人参ぶら下げて将棋を指させるのはあまりしたくないって思ってたんだけどな。お母さんともそういう話をしていたんだけど。
彰子:ご褒美はそうかもしれないけど、お父さんいろんな企画考えてたよね、私たちに将棋続けさせるために(笑)。
宏美さん:あーそうだったね。勝敗表で五目並べとか、覚えてるなー。
彰子:そうそう、他にもマラソンに喩えてみたりとか。
父:覚えてないな。それ私も参加してたかな?
宏美さん:お父さんと私たちの3人だったよいつも。あと、ひな壇を飾る時も一局指したら階段を作る、もう一局指したら人形を飾る、さらに勝ったほうが帽子をかぶせる権利を得られる、とかやってたよね。お手伝いも将棋のご褒美にしちゃうなんて、今から考えるとすごいよね。
父:(お茶を飲んでいる)
彰子:そこまでして続けて欲しかったんだね、お父さん。
父:ふたりに将棋を教えるだけでも時間かけてたし、ここで止めてしまったらかけた労力が無駄になるって思ったからな。
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