連載:女流棋士と私のお母さん 2017年5月29日
「女流棋士と私のお母さん」vol.2 岩根忍女流三段
特別連載の背景について
いつつでは、日頃から子どもたちに、将棋をはじめとした日本伝統文化を普及する活動を行っています。
つきましては、実際に幼い頃から将棋に触れてきたという5人の女流棋士が、リレー方式で、将棋の魅力や楽しさ、そしてお母さんとの思い出について発信することで、もっとたくさんの子どもたちや、子育てをするママたちに、将棋を始めてもらったり、興味を持っていただけるきっかけになればと思い、今回の連載を企画いたしました。
そして、本連載2回目をご担当いただくのは、岩根忍女流三段です(^ ^)
お忙しい中、快くご協力いただき誠にありがとうございます。
母の優しさが詰まった詰将棋
私が将棋に出会ったのは小学一年生のころ。学校が終わると「学童クラブ」に通っていた。先生は2人いて、子供は30人ほど。両親が働いている家庭がほとんどで、月曜日~土曜日の17時半ごろまで預かってくれる。そこでは基本的には何をしても自由だった。天気のいい日は近くの大きな公園で一輪車、竹馬、鬼ごっこ、ドッチボールなどをして遊んだ。雨の日はけん玉、五目並べ、トランプなど室内で過ごすが、その中の一つに将棋があった。
誰かが教えてくれる訳ではなく、壁にはってある紙を見ながら駒の動かし方を覚えていった。みんなもルールがあいまいだったので、ずいぶん後に2歩が反則であることを知った。
「将棋をやってみたい」と自分から言ったらしい。母はできる場所がないか、いろんな人に聞き込みをしてくれた。現代のようにインターネットも身近ではなかったので、なかなか思うように見つからなかった。
そんな時、母がスポーツ新聞に掲載されている詰将棋を切り抜いて持って帰ってきてくれた。「これ4手づめ!」と得意気に叫んだことを覚えている。詰将棋は奇数でしか詰まないということをまだ理解できなかった。それでも母は切り抜きを持って帰るのが日課になっていた。
詰将棋はパズルを組み立てているような不思議な感覚だった。ひらめくことが楽しくて、いつの間にか夢中になっていた。母はどんなに忙しいときや疲れているときでも、付き合ってくれた。解けると「すごいね」と褒めてくれ、お互い笑顔になった。その瞬間が大好きだった。
この何気ない日常が母との一番の思い出。壁にぶつかった時にふと思い出し、また頑張っていこうと思えるのだ。
母は強くなってもらいたい、プロになってもらいたいという想いではなく、ただシンプルに娘がやりたいと言っていることをやらせてくれた。将棋の勝敗に関することは小さいころから何も言わなかった。どちらの結果であっても笑顔で迎えてくれる。「やるのは本人。負けた時に一番辛いのも本人。」この想いだったことを、つい最近知った。できる限りのサポートをしてくれ、道を作ってくれたことに感謝している。
現在、私には10歳、8歳、4歳の息子がいる。長男と次男がテニスをしていて、大会に出場する機会も増えてきた。試合を観戦していると、テニスと将棋は相手の「手(球)を読む」という共通点を感じる。試合後に何も言わないのも、こんなに難しいことだとは思わなかった。ついつい口出ししたくなる。。。でもそれはコーチにお任せして、私は私のできるサポートをしていきたい。
そして、勝って喜んでいても、負けて泣いていても「おつかれさま」と母のように笑顔で迎えてあげたいと思っている。
次は誰かな?
特別連載企画「女流棋士と私のお母さん」では、毎回ご寄稿いただいた女流棋士の方より、次の担当者のヒントを出してもらいます(^ ^)
さて、第2回の岩根女流三段からのヒントはこちら・・・・
さて皆さん、誰かわかりましたか? 次回の連載は6月下旬。乞うご期待です( ´ ▽ ` )ノ
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