株式会社いつつ

将棋を学ぶ 2017年11月24日

特別連載「将棋のお仕事百科」① 記録係の実は…

荒木 隆

プロの対局にはあり、アマチュアの対局にはないもの。それは記録係の存在です。

昭和の時代では、プロの対局はベールに包まれていましたが、最近ではニコニコ生放送やAbemaTVなど、対局を配信するメディアが増えたので、ファンにとっては嬉しい限りではないでしょうか。

そしてこのところ、対局者だけではなく、記録係にも注目するファンも少なくないようです。私も奨励会時代、数え切れないくらい記録係を担当させて頂きました。そこで今回はその舞台裏をお話ししていこうと思います。

1. 西と東では違いがある!?

似ているようでも、違いあり!

記録係はスコアラーなので、対局者の指し手や消費時間を記録するのが主な仕事です。しかし、それ以外にも対局の準備や後片付けも業務の一環に入ります。

対局は午前10時から開始なので、記録係は大体、1時間ほど前から準備に取り掛かり、対局に必要な備品を用意します。

ただ、実は関西と関東で、ささやかな違いがあります。関西では記録係を「担当する日」だけを決めて、自分がどの対局の記録を取るのかは、当日の朝に決めます(上位者から選ぶ権利がある)。対して、関東では担当する対局まで事前に決めておくそうです。

それゆえに、関西はその日に行われる対局の準備を皆で行うのですが、関東では(主に)自分が担当する対局のみ準備をするそうです。

これを関東所属の某男性棋士に話すと、その方は「当日の朝に決めて、よく間に合うね」と少し驚いていました。ただ、お目当ての対局を先に取られてしまい、「振り飛車の将棋が見たかったのに、もう居飛車を指す棋士しか残ってないよ〜」と、こぼしている人はいましたが……笑

また、対局者の残り時間が短くなると、記録係は秒読みを行うときがあります。この秒読みの方法も西と東では微妙な違いがあり、興味のある方は注意深く観察してみると面白いかもしれません。

2. つい、うっかり……

こっくりこっくり….

プロの対局は、短ければ1時間程度で終局してしまうこともありますが、多くの対局では持ち時間が3時間以上ある長丁場です。

先述したように、対局の開始時刻は午前10時。2時間後には昼食休憩が控えているのですが、お昼時になっても戦いが起こっておらず、未だ序盤戦ということも珍しくありません。

自分が対局者の場合、序盤から方針を決めるのに苦心することもしばしばあるので、なかなか相手の指し手が進まないのも理解できます。ですが、観戦者の立場となると、動かない局面を延々と見続けることは、(対局者には失礼ながら)ぶっちゃけるとなかなか退屈です(^_^;)

退屈な状況。お昼時。昼食後。これだけ条件が揃っていれば、導き出される答えは一つしかありませんね。そう、睡魔です。

特に冬場での対局が危ないですね。何しろ、寒い外から帰ってきたところに温かい空気が流れ込んでくるわけですから。もう時効だと思うので告白すると、私も何度か棋士の先生方が考えている隣で、こっくりこっくり船を漕いでしまったことがありました。

ただ、これに関しては棋士もある程度、許容している節があり、人間である以上、そういった生理現象が出てしまうのは仕方ないと思っている方が多い気がします。むしろ、「アイツの寝相は凄かった」などど面白がっている方もいましたね笑

3. 澄ました顔をしていましたが

ポーカーフェイスで良かったです。

奨励会員にとって、記録係は仕事であると同時に、棋士の対局を間近で勉強できる場でもあります。

そんな訳で個人的には記録係は結構、好きな仕事だったのですが、業務の都合上、ずっと座りっぱなしなので、案外、体力勝負だったりもします。

特に順位戦という持ち時間が6時間もある対局の記録はその傾向が色濃く、(もちろん、対局者の方が大変でしょうが)かなり疲れます。

なので、順位戦の記録の前日は体調に気を遣うのですが、実は一度、大ピンチに遭遇してしまったことがありました。(¯―¯٥)

その対局は平成23年1月18日に行われたC級1組順位戦の浦野真彦七段ー豊島将之六段戦(肩書は当時)。流石に、この日のことは忘れられません。

前日の夜に猛烈な腹痛が襲ってきて、ちょっと立ち歩くのも大変なレベルにまで体調を崩しました。もう少し日程に余裕があれば、代わりの人にバトンタッチしてもらうところですが、前日となるとそれも厳しく、文字通り這うようにして将棋会館へ向かったことを覚えています(^_^;)

普段なら対局者になったつもりで、次の指し手を予想しながら記録を取るのですが、この日ばかりはそんな余裕はなく、ひたすら腹痛を耐え忍んでいました笑

しかも、自分が露骨に苦しんでいる態度を示すと、対局者に余計な心配を掛けてしまうので、(対局者の思考を邪魔することは、記録係として最もやってはいけないこと)淡々と澄ました顔をしながら我慢していました。いやー、あれは辛かった。

正直、今日で私、死ぬんじゃないかと思っていたのですが、夕食休憩の際に飲んだヤクルトがめちゃめちゃ美味しくて何とか乗り切りました。ヤクルトって腹痛に効くんですね。この時、身を持って体感しました笑
なお、後日医者に診断してもらうと、「ノロウイルスですねー。お大事にー」と軽いノリで対応されました笑

こういうことがあると少々のキツいことは特に気にならなくなり、精神的に強くなれたと思います。これ以上の大変なシチュエーションには幸運なことに、まだ遭遇したことはないですね。まぁ、遭遇したくないけど笑

4. ただただ恐縮です

海の見える眺めの良い部屋を用意してくださったこともありました。

棋士の肩書は、加藤一二三九段のように、○段という形が多いのですが、渡辺明竜王や羽生善治棋聖のように、肩書が段位ではない棋士もいます。これは非常に名誉な称号で、その棋戦の優勝者であることを意味します。つまり、渡辺明氏は竜王戦の覇者、羽生善治氏は棋聖戦の覇者ということになります。

この称号を懸けた戦いのことを、通称「タイトル戦」と言います。タイトル戦は普段の対局と違い、高級な旅館やホテルなどで開催されることが多く、まさに特別な対局であると言えます。

そんな特別な対局にも当然ながら、記録係は存在します。私も何度かタイトル戦の記録係を取らせて頂いたことがあるのですが、普段と環境があまりにも違うので驚くことが多かったですね。

中でも衝撃的、というか面白かったのは、「中の坊瑞苑」という旅館で行われたタイトル戦のことです。

基本的に対局で行われる場所は、その会場で最も良い場所で行います。「中の坊瑞苑」の場合、一番高級な部屋で対局をすることになります。

しかし、ここである矛盾が発生します。タイトル戦の主役である対局者はどこに泊まるの?という問題です。

対局者が試合会場である部屋に寝泊まりするのは、ちょっと違和感があるので、他の部屋に宿泊することになります。では、誰がその部屋に泊まるのかというと……何と記録係なんですね。

確かに、記録係がその部屋に泊まるほうが移動や準備など、諸々と楽なのでありがたいのですが、目上の方を差し置いて最上級ランクの部屋を用意されるのは、ただただ恐縮でした(・・;)

あれだけだだっ広い空間にたった一人で寝るということは、もう流石にないでしょうね笑
他のタイトル戦だと普通に個室を用意されるだけ(それが普通)なので、印象に残っています。

5. 貴重な体験

いろんなことがありました。

この記事を執筆するにあたって、記録係の思い出を振り返ってみたのですが、一回の対局で千日手が2回続いたり、大ベテランの棋士が二手指しの反則負けをしてしまった現場を見てしまったり、いろいろなことがあったなぁと少し感慨に浸りました。

前述したようにプロの対局は長時間に及び、対局中は(ほぼ)誰も雑談しないので、静寂の時が連綿と続きます。あの空気がキリッと張り詰めた独特の緊張感は、なかなか他のことでは味わえないものであり、個人的には心地良い時間でもありました。
普通に進学して就職するルートを辿っていたら確実に巡り合うことのない機会だったので、貴重な体験をさせて頂いたなという思う次第です。

『将棋のお仕事百科』特別連載の第2回では聞き手について、第3回では中継記者について書いています。

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この記事の執筆者荒木 隆

1990年生まれ。滋賀県大津市出身。平成16年9月森信雄七段門下で「新進棋士奨励会」に6級で入会。三段まで進み、平成28年9月に退会。平成29年3月株式会社いつつに入社。奨励会員時代の将棋教室やイベントで、子どもたちへの指導の経験は豊富。

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