連載:女流棋士と私のお母さん 2017年7月31日
「女流棋士と私のお母さん」 vol.4 加藤桃子初段
特別連載の背景について
いつつでは、日頃から子どもたちに、将棋をはじめとした日本伝統文化を普及する活動を行っています。
つきましては、実際に幼い頃から将棋に触れてきたという5人の女流棋士が、リレー方式で、将棋の魅力や楽しさ、そしてお母さんとの思い出について発信することで、もっとたくさんの子どもたちや、子育てをするママたちに、将棋を始めてもらったり、興味を持っていただけるきっかけになればと思い、今回の連載を企画いたしました。
そして、本連載3回目をご担当いただくのは、加藤桃子初段です(^ ^)
お忙しい中、快くご協力いただき誠にありがとうございます。
優しいコーチ
小さな頃からママ大好きっ子だった。常に顔が横にあり、母と私の距離は50cm以上離れないらしい。離れるものなら泣きだしてしまうほど。
将棋を始めたのは5歳。母は静岡ふじのくにゆうゆうくらぶの将棋教室を始め、講師を務めていた。そこで『ゴロゴロ将棋』という玉、金、銀、歩だけを使ったゲームを使って初心者グループの私は馴染んでいった。
幼稚園の頃から、バレエ、ピアノ、絵画、体操教室と沢山の習い事をさせてもらったが、最終的に選んだのは将棋だった。低学年になり、父の勤務先だった藤枝明誠高等学校の棋道部で高校生に教わったり、藤枝支部の強豪の方に2〜5時間教わり、母にはずっと付き添ってもらい毎週送り迎えもしてもらった。
静岡では実戦機会が少ないため、棋譜並べや詰め将棋が練習基本となる。将棋年鑑の棋譜を覚えて母に暗記テストしてもらったり、『実戦の詰み』というホームページから実戦型詰め将棋を全てコピーしてもらった。また、1つの大会に向けてノルマ達成ノートを作ってもらい、達成したらご褒美シールという具合にモチベーションを上げてもらった。母であると同時にコーチでもあった。
夏休みなど長い休みが取れた時には、東京に出て三軒茶屋将棋倶楽部や御徒町将棋センターに通った。その時も母は付きっきりで午前中から夜までいつも待っていてくれた。途中で夕飯やおやつを一緒に食べにいくのも楽しみだった。普段私が育てていたたまごっちを、その時は母が育ててくれていたりしたものの、こんなに長時間もよく待っていてくれたなあと今は感謝の気持ちでいっぱいである。
この22年間、いろいろ大きなこともあったが、その度に母と一緒に乗り越えてきた。
2年ほど前から私は一人暮らしをしている。母は再婚した。それぞれ新しい道を歩み出した。それでも私が本当にピンチな時は駆けつけてくれて助けてくれる。私もリラックスしたい時は新しい家族の元に遊びに行ったりと、持ちつ持たれつの関係である。近い将来、旅行に沢山連れていってあげたいと思う。
次は誰かな?
特別連載企画「女流棋士と私のお母さん」では、毎回ご寄稿いただいた女流棋士の方より、次の担当者のヒントを出してもらいます(^ ^)
さて、第4回の加藤桃子女王からのヒントはこちら・・・・
さて皆さん、誰かわかりましたか? 次回の連載は8月下旬。乞うご期待です( ´ ▽ ` )ノ
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