連載:女流棋士と私のお母さん 2017年4月29日
「女流棋士と私のお母さん」vol.1 室田伊緒女流二段
特別連載の背景について
いつつでは、日頃から子どもたちに、将棋をはじめとした日本伝統文化を普及する活動を行っています。
つきましては、実際に幼い頃から将棋に触れてきたという5人の女流棋士が、リレー方式で、将棋の魅力や楽しさ、そしてお母さんとの思い出について発信することで、もっとたくさんの子どもたちや、子育てをするママたちに、将棋を始めてもらったり、興味を持っていただけるきっかけになればと思い、今回の連載を企画いたしました。
そして、本特別連載、記念すべき第1回を飾っていただくのは、室田伊緒女流二段です(^ ^)
お忙しい中、快くご協力いただき誠にありがとうございます。
好きこそ物の上手なれ
「お姉ちゃんも一緒にやろうよ」きっかけは何度断ってもずっと声をかけてくれた一人のおじいちゃんでした。
弟の送り迎えで母についてきていた私に「やだ」の一言で返されても誘い続けてくれた春日井支部長。そうした理由で弟とは始めた時期が3ヶ月違います。
その頃はピアノ、水泳、英会話、書道など習い事をいくつかしていました。好きも嫌いもなく、全てほどほど、ちょっと好き、くらいで。根負けしたのか、一度くらいなら…の気持ちで5年生秋にして初心者大会に初出場。4局指し、2勝2敗。もっとやりたい!と自分から言った習い事はこれが初めてです。
それから半年後には他の習い事をすべてやめてしまい、休日は母と弟の3人、愛知県内車でどこまででも通いました。指し手をまだ覚えられない私たちの後ろでは母がいつも棋譜をとっていました。
6年生春、5級だった頃に初めて女流棋士の存在を認識します。それまでなんとなく男の子のゲーム、プロも男性、と思い込んでいた私にとってそれは衝撃的でした。女性で強くて綺麗でかっこいい。私もプロになる!と口走ったのは今となっては笑い話でもあり、必然でもあります。本物に触れた経験は今でも心に残っているもの。棋士を間近で観て憧れを抱きました。
それからは自然と打ち込むように。大会があると聞けば東京、大阪、遠くまでも足を運びました。中学生の全国大会では天童へ行き、同年代の友達の輪を広げ、励みにしました。
それでもこの頃にやめたい、と言ったことがあります。休日も地元の友達と遊びたいという、ありふれた悩みです。母とはそのことで喧嘩もしました。反抗期です。今となってはそのような理由でやめてしまわず良かったと言えますが、当時の気持ちもよくわかります。嫌われ役となって止めてくれた母には感謝しています。
好きこそ物の上手なれ。はじめはこんなに好きになるとは思ってもいませんでした。様々なことを経験し、その中でぴったりはまったものが私にとっては将棋でした。
今は選択肢が広い時代です。自身が経験する中で好きなことを見つけられればそれはとても幸運なこと。存在自体知らなければ好きになりようもありません、とにかく経験すること。子どもさんがやってみたい!と言ったことに関してはそっと後押ししてあげることが、その子にとっての財産になると思います。
あの時憧れを抱いた初めての女流棋士の一人が中倉彰子先生。こうして一緒に仕事をしているよ、と昔の私に教えたらどんな顔をするのでしょうか。
次は誰かな?
特別連載企画「女流棋士と私のお母さん」では、毎回ご寄稿いただいた女流棋士の方より、次の担当者のヒントを出してもらいます(^ ^)
さて、第1回の室田女流二段からのヒントはこちら・・・・
さて皆さん、誰かわかりましたか? 次回の連載は5月下旬。乞うご期待です( ´ ▽ ` )ノ
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