将棋を学ぶ 2016年8月11日
水無瀬駒のふるさと、大阪・島本町へ行ってきました。
大阪府三島郡島本町は、将棋で地域活性を試みる町です。
ではなぜ、島本町が町の活性化のツールに将棋を選択したのかというと、それは町内に将棋の聖地である「水無瀬神宮」があるからです。
水無瀬神宮は、後鳥羽、土御門、順徳の三天皇を祀る神宮であり、そして将棋駒のルーツとも言われる「水無瀬駒」が誕生した場所でもあります。
さてここで質問です。皆さん、「水無瀬駒」をご存知でしょうか?
水無瀬駒とは、能筆家で知られる公家の水無瀬家が4代にわたり作成してきた将棋の駒のことをさします。
現在でも多くの将棋ファンに愛される「水無瀬書」と呼ばれる、ゆったりとした風格のある字体が特徴的で、一駒一駒、墨または漆で筆書きされています。
そして、水無瀬家4代の中でも特に美しい文字を書いたとされるのが水無瀬兼成です。
時の天皇より、「駒に字を書いてよろし」との特別な許可を賜り、「将棋駒の銘は水無瀬家の筆をもって宝とす、この筆跡の駒、免許なきもの弄すべからず」との江戸時代の言葉が示すように、後陽成天皇や豊臣秀次、足利義昭やなどに納められ、「水無瀬駒」は当時の権力者にとって憧れのようなものでした。実際現在においても水無瀬駒は美術的にも歴史資料的にも価値のあるものとされています。
ちなみに、水無瀬駒の最多注文者は徳川家康だと言われています。
兼成の駒の受注記録である「将棊日記」によると、関ヶ原の戦い前後に大名たちの心をつかむために、53組もの水無瀬駒を発注したとの記録が残されているそうです。
天皇から「駒に字を書いてよろし」の承諾を受けた77歳ときから、亡くなる89歳までの間に兼成が書いた駒の総数はなんと37108枚。
兼成の作る水無瀬駒が明実ともに人気だったことが伺えます。
また、水無瀬神宮では、特別な日を除いて一般公開されることはありませんが、当時の本物の水無瀬駒、象戯圖(将棋の解説書のようなもの) 、上記にある将棊馬日記の現物などが町指定の文化財として保存されているそうです。
ちなみに、将棋関連の以外にも、水無瀬神宮は、後水尾天皇が愛好したとされる茶室「燈心亭」や大阪で唯一「名水百選」に選ばれた「離宮の水」、あの石川五右衛門が名刀を盗みに入ろうとして様子を窺っていたが、神の威厳により門内へも入れず、やむなく立ち去ったときに残したとされる「石川五右衛門の手形」(目視ではっきり手形と分かる訳ではありませんが)など見所満載です。
さらに、JR島本駅から徒歩約1分の場所にある島本町立歴史文化資料館でも、常設展にあわせて、時々水無瀬神宮所蔵の「水無瀬駒」の特別展示などが開催されるようなので、ぜひ夏休みの1日を使って水無瀬駒ツアーなんてやってみるのもいいかもしれません( ´ ▽ ` )
もしかしたら「棋力が上がる」なんていうご利益もあるかもしれません、笑
いつつのオンラインショップ神戸の将棋屋さんいつつでも将棋駒を販売しています( ´∀`)
参考:リーフレット「戦国武将たちもあこがれた水無瀬駒のふるさとで将棋を楽しもう」/島本町「水無瀬駒」による地域活性化事業実行委員会
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